8月15日の終戦に合わせて開催した個展で制作したインスタレーション、会場のギャラリー沙蔵が長岡空襲に耐えた蔵の中で建物の骨組みを意識した構造の真ん中に水を溜め光を上からあてた。
中に人が入ったり、他の作品を入れてイメージを膨らませた。
作品名 | UNDER GROUND |
作家 | 松本 泰典 Matsumoto Yasunori |
所蔵画廊 | Gallery沙蔵 |
サイズ | 80cm×3m×2m |
素材 | 鉄 板 水 他 |
制作年 | 2005年 |
所蔵年月日 | 展示終了と共に解体 |
価格 | 非売品 |
松本 泰典 展
2005/8/12~8/17
ギャラリー沙蔵 長岡市本町1-4-3
瞑想体感の後に見えてくるもの
The thing that I see after meditation bodily sensation
「こんなものをつくってみたい」ということから始まったのだろうということは一目瞭然である。勿論、「鑑賞者に、こんな体験をさせてみたい」というもくろみも同時に抱いてのことである。しかし、作り手の思いがどうであれ、心の準備もなく、この場で初対面の私たち鑑賞者は、「このような体験をしてみたい」とは思っていなかったし、依頼を受け入れてくれるだろうかという危惧を抱く。実際には、即座に拒否する通行人は別として、思いのほか抵抗なく作品成立に加担してくれるである。しかし、何のわだかまりもなくスムーズに受け止められることが、作り手のもくろみに応えたことにはならない。ためらいながら、何をどのように感じとったかを体験後に静かに丁寧に思い返してと願うものである。
漫画家の水木しげるの初期の作品群に「丸い輪」という短編作品がある。主人公の少年が、友だちとの遊び途中で、空中にぽっかりと浮かぶ不思議な円形の「輪」に遭遇するのである。興味の赴くまま何気なく入り込んだ輪の中は、黄泉の国であつたというストーリーである。そのようなことが現実に起こるかどうかではなく、このような体感設定をしたとき、その先にある世界のように捉えている
壁の絵や、外形に意味のある立体と異なり、鑑賞者参加型の体験鑑賞を強いる場合は、まずは参加していただくことが大切で、体験鑑賞を通して、以前よりも一段高いステージに登っていただきたいと願うものである。しかし、作り手の思いの強さほど受身である鑑賞者の思いはその場限りのうたかたのようなものである。それは両者の間に横たわる本課題が作り手の一方的な提示からなされていることに起因するからである。体感という五感に訴える直接的な伝達をより有効と受け止めたいが、過度な期待のみでは幻想は深まるばかりであり、更なる作り手の努力に頼るしかないのである。
さて、松本の作品は、1点で、画廊入り口から、訪れる人を待ち構えるように、フロアのド真ん中に鎮座していた。薄暗くした室内は、特に奇をてらった演出でもなく優しく誘い込んでいる。作品の概略を観たままに言葉で伝えるのは作家の意に反するかも知れないが、鑑賞者に参加依頼するには、道標やガイドがないと素通りされてしまう危険性を含んでいるのでこのような場合は致し方ない
およそ畳3枚程度の小さく盛り上がった古墳のような半球状で、外皮を芝生で覆い尽くした立体作品である。その中央あたりには、本作品の重要な仕掛けが施されており、左右に縦に2分割され、半球状の立体作品の中に鑑賞者を誘い入れると再び閉じるようになっている。つまり、「人間カプセル」である。
その割れた隙間に入った人が仰向けに横たわれるようにクッション・シートが用意されていて、その中に横たわると、天井に取り付けられた大きなミラー・シートに映し出された自分の姿を見えるように配置し、視覚再認識というサービスを提供しながら、より人間の内面へと触手を伸ばしている。そのこだわりは2枚のミラー・シートを縦横に交差し弛ませ吊るしている点である。松本の巧みな仕掛けはここでも発揮され、当事者の再確認と共に次に訪れるだろう鑑賞者に向かっての視覚体感を狙ったものとなっている。
さて、実際には、作品鑑賞の概略を聞きながら、隙間に入って横たわることで、次にカプセルの中に閉じ込められることで、その置かれた自分の姿をミラーに映し出し再確認することで、また、自分の姿を第3者の視線によってとらえられていることに過分な期待を抱かずにそれぞれを味わってもらおうという松本の基本姿勢である。
松本の作品の意味は、鑑賞者に「大地の下に居るということを」仮想体感させることは一次的なねらいを達成しただけであり、作品の大きなねらいの柱には、鑑賞者を誘い入れて、異層体験を味わってもらうことを通して、それぞれの鑑賞者の記憶にわずかなブレを引き起こすことにある。例えば、敗戦の8月という時節柄、防空壕体験を思い起こす人も居られるかも知れない。地上生活者の私たちも地下世界の存在を意識してみる場を設定したといえば、地球規模の根本的な様々な諸問題の提起に行き着くような気もする。二次元的な価値に基づけば、生活や文化の2層構造を意識することであり、「アンダーグランド」と題されたことで、もう一つの世界観に繋がる入り口を造形したものといえる。この入り口の深さは、それぞれの鑑賞者が自力で辿りつくものであり、松本は「丸い輪」の位置を示したといえる。
松本の作品の傾向について考察すれば、1990年にヤノベケンジが発表した瞑想のための体験型作品「タンキング・マシーン」が想起され、翌2000年、大地の芸術祭の際に、ジェームズ・タレルによって設計された瞑想体験宿「光の館」に連呼する近似的な作品といえる。いずれのキーワードも瞑想であるが、松本の特筆すべきことは「瞑想・視覚自己再認識・他者視覚体感を狙った」という点である。
この「人間カプセル」が、土盛りした円古墳のように、芝生で覆うことにより、東洋的な古式土葬をイメージさせ。優しさの包み感覚は、正に蚕の繭玉のようであり、大きな割れ目の中に入り、癒されることから「母親の胎内」への回帰としても語られる。明日への希望が描きづらいといわれる今日、松本の挑戦はそれぞれの体感者に「明日への希望」を映し出してくれたと感謝したい。
佐藤 秀治(美術家)
2005/8/17